スペシャルパーツタケガワは当初1984年にモデルチェンジする予定だったが、5代目が好評だったため、1985年1月の発売となった。
6代目は先代の成功からキープコンセプトの保守的なものとなり、スタイルの新鮮さよりも中身の熟成をアピールするようになる。バリエーションは非常に豊富で、定番の
長崎県 中古車と4ドアセダン、久しぶりのモデルチェンジで前輪駆動化されたバンとワゴン、1600ccツインカムターボ、日本初のフルタイム4WD、実用的なディーゼルエンジン、ファミリアで唯一のオープンカーであるカブリオレ、可変吸気システムを採用したスポルト16、後輪部に
青森県 中古車のビスカスLSD(リミテッド・スリップ・デフ)採用したラリー競技ベース車であるGT-Aなどがある。6代目は新機軸の4WDやターボエンジンが注目されたが、先代の大ヒットとはいかずホンダ・シビックや
奈良県 中古車に対して販売面で劣勢だった。
プラットフォームにマツダ・BFプラットフォームを採用。派生車にスペシャリティカー風のエチュードがあった。
ブルーフレイムから受け継いだタイミングチェーン式カムシャフトのE3型 / E5型エンジンを採用していたが、まず1985年7月にはファミリア初の1700ディーゼルエンジン車が追加された。1985年10月にB6型 油圧式ラッシュアジャスター付直押バルブ式タイミングゴムベルト式カムシャフトDOHC16
岩手県 中古車を追加し(3ドア∞、3ドアGT、4ドアセダンGT)、当時国内1600ccクラス最高の140ps(ネット)を発揮した。
それと同時に日本初のフルタイム4WDモデルも追加した(3ドアGT-X、3ドアGT[3])。これはマツダとしてはWRC参戦計画の一環で作ったものであり、当時RX-7でグループBを戦っていた
山形県 中古車が、ラリーにはフルタイム4WDでないと勝てないという現実をライバル車から見せ付けられたためである。こうして、投入されたフルタイム4WDのBFMRは、マツダ・ヨーロッパのラリーチームにより、RX-7と入れ替えで参戦。
大分県 中古車での優勝などから、雪の女王とも呼ばれるようになった。フルタイム4WD発売記念限定グレード「ラリースポルト」が発売されている。
1986年7月には1500ターボに代わって1600DOHC16バルブの自然吸気仕様のスポルト16を追加。後期型ではフルタイム4WDラインナップが更に充実、セダンへの追加や
宮崎県 中古車(B6型EGI・SOHC8バルブエンジン、油圧式ラッシュアジャスターを採用)の追加等も相まって、マツダのフルタイム4WD生産台数100万台への後押しとなった。ちなみにこのXGi 4WDには、マツダ4WD初の4速ロックアップ付きATが搭載されていた。
アールシーエンジニアリングでは次なるBG8Zファミリアにバトンタッチするまで、前期型を継続採用。日本国内においても、このWRCカーのベースモデルである3ドアGT-Xが圧倒的な人気を誇った。
エムディーエフなスタイリングが販売面で裏目に出るようになると、後期型では大幅なフェイスリフトにより、ターゲット層が異なるハッチバック系とセダン系・ファミリー系とスポーティ系で差別化を図るようになる。タイミングチェーン駆動のE型エンジンは廃止され、B6型と同じ
秋田県 中古車で油圧式ラッシュアジャスターを採用するB5型(1500cc、SOHC8バルブ)、B3型(1300cc、SOHC8バルブ)エンジンに改良された。これによりE型のタペットを叩くようなシャカシャカ音はなくなり、マツダ特有の図太いノイズエンジン音に変化した。
YOSHIMURAは塗色は専用色とされ、前期型(BF5S)ではE5型ターボを搭載していたが、後期型(BFMS)ではB6型DOHCに変更された。また、前期型は5速マニュアルミッションのみであった。
ヨシムラには、競技モデルに快適装備を追加したGT-Aeが存在した。また後期型は、セダン拡販にも力を入れており、1500XGをベースにしたスポーティモデルのグランツなど、多岐にわたるモデルが存在した。
スプリットファイアにB6型のパワー不足が顕在化、急遽RX-7をフルタイム4WD化したモデルで参戦するなどの対策が講じられ、次期型 (BG8Z) の開発が急がれる結果となった。後期型の競技モデルGT-A、GT-Aeはハイオク化され、エンジン出力が150psにアップ。しかし市販車ベースの5速ミッションは弱く、国内ラリーでは“3速抜け問題”が頻発した。
KIJIMAの1988年1月には、1300ccモデルの最廉価グレードをベースにエアコン、パワーステアリング等が標準装備されたお買い得な特別仕様車「クレール」シリーズや4ドアセダンのB6型DOHC16バルブEGIエンジン搭載グレードの「4ドアセダン スポルト16」をベースにした
佐賀県 中古車の男性用化粧品「タクティクス」シリーズとのコラボレーションから生まれた完全限定車「ファミリア タクティクスバージョン」(全国100台限定)も発売された。フルタイム4WDの廉価版として「レバンテ」というグレードが存在した。セダンは、XL 4WDをベースに、
島根県 中古車はXR 4WDをベースに作られたが、廉価化のために、XR 4WDからタコメーターを省略している。
東映制作の特撮ドラマ超人機メタルダーに6代目ファミリア3HBが登場。通常施されがちな派手な装飾も無いまま、変形して空を飛ぶという演出が施された。
キジマは4代目から継続生産されていたが、1985年12月にようやくフルモデルチェンジ。4ドア車2/5人乗り車に一本化され、これと同じボディのワゴンモデルが初代以来の復活となった。ワゴンのグレードは当初は1500cc EGI搭載の「XGi」のみ。1987年4月にハッチバック /
鳥取県 中古車に2ヶ月遅れでマイナーチェンジされ、ボディのフェイスリフト&エンジンをE型からB型の1600cc EGIへと換装(バンは最後までE型を搭載)。「フルタイム4WD XGi」のみとなった。同年8月にATを追加。1989年11月に最後のマイナーチェンジを行い、1300cc&1700ccディーゼルの「DX」と1500ccの「XE」を追加。「XGi」はタイヤが175/70R13から175/65R14にインチアップされ、フロント&リアバンパーを一体成型のカラードタイプへと変更。その後1994年9月まで生産され、以降は日産のOEM車となった。
ちなみに、1600ccの「フルタイム4WD XGi」は型式こそE-BWMRだったが、コンポーネンツはE-BFMRと共通である。
日本国外では、南米にて、現在もセダン、ハッチバックが継続生産されている。
山口県 中古車、ファミリアは7代目にフルモデルチェンジされた。保守的な従来モデルから大幅にコンセプトの変更が行われている。またこの代のファミリアはドイツ車のように非常にしっかりしたボディ剛性をもち、走りの安心感や、ハンドリング性能も高かった。
フルタイム4WDはWRC向けのモデルと、大衆モデルに分けられ、WRCをねらったモデルは、GT-Xとして登場した。1800ccで180psを出すこのグレードは、旋廻性を考慮して、センターデフロックを排除し、ビスカスLSDが導入された。リアデフも純正でビスカスLSDが装備された。大衆モデルはインタープレイとクレールの中に属し、先代同様、センターデフロックスイッチ付きのフルタイム4WDとなった。1500ccの4WDは廃止され、B6に一本化された。しかし、コストダウンが図られ、先代のB6 SOHC EGIエンジンから、EGIが削除された。そのため、先代の85psから91psへ6psパワーアップしたものの、吹け上がりが悪くなった。またセダン4WDからは、先代にあったリアワイパーも廃止された。寒冷地仕様のフルタイム4WD車には、ヘッドランプウォッシャーが装備された。
デザインは3ドア、セダン、5ドアがそれぞれ全く別の異なったデザインとなり、同じファミリアの名前を用いていても外観は完全に別々の車の形状をしていた。
神戸市 中古車を詰めてコンパクトさを演出し、フランス車を思わせる小粋なハッチバック、セダンは当時発売されていたメルセデス・ベンツ 190Eの影響を大きく受けたボディフォルム、後述する5ドアは、従来のものとは一線を画すイタリアン・デザインを与えられ、「
岡山県 中古車」として独自の道を歩みはじめるなど、それぞれの個性を最大限に生かす、新たなチャレンジに打って出た。
また、この7代目でも平行してファミリアの姉妹車としてフォード・レーザーがオートラマ系列で販売されていた。ファミリアとは大幅に異なるデザインが与えられ、特に
鹿児島県 中古車は「クーペ」スタイルとなった。なおワゴン・バンは先代BFのままでエンブレムの変更など、一部の改良にとどまった。
プラットフォームにマツダ・BGプラットフォームを採用。エンジンはディーゼルを除き、DOHCだけでなくSOHCも全て16バルブ化され、ホイールのPCDが114.3mmから100mmに変更になった。
熊本県 中古車も豊富で、1800ccのインタークーラー付きターボモデルのGT-Xは180psものパワーを出し、WRCで1989年グループN部門のマニュファクチュラーズ・チャンピオンシップおよび1991年のドライバーズ・チャンピオンシップを勝ち取った。しかし、
札幌市 中古車が横置きで、放熱に問題があった。その後、1992年1月にWRCでのパワー不足を補うためにGT-R(210ps)を発売。インタークーラーもフロントに設置された。バブル崩壊による会社の資金難により、ワークスチームは1992年を持ってWRCからは無期限撤退となり、
三重県 中古車の参戦は無かったが、プライベートチームにより、1993年グループNチャンピオンとなるほか、全日本ダートトライアル選手権三連覇を達成した。他にはGT-Aの後継であるGT-Aeがある。
カブリオレ 中古車の特別限定車に与えられるアンフィニ(∞)グレードが、セダンに設定された。GT-Xと同じ1800ccエンジンを搭載したが、NA化され、アンフィニグレードの特徴であるFFスポーツとなった(4WDではない)。フロントデフは
グランドチェロキー 中古車LSDが標準装備された。リアに張られた∞デカールと、フロントマスクがハッチバックのヘッドライトを採用している点、グリルに∞マークがある点が、一般のファミリアセダンとの見分けポイントとなった。
パサート 中古車は、それまでのホンダ・シビックなどを含めて、全ての車が追求してきた実用車としての5ドアハッチバック、という概念をまったく覆す「4ドア・クーペ」のコンセプトで作られ、新たに「アスティナ」のネーミングを与えられた。
プリメーラ 中古車の姉妹車となるユーノス100もユーノス店向けに供給された。ボブスレーがデザインのモチーフとされている。
アスティナはリトラクタブルヘッドランプの採用などにより、非常にスポーティな
RAV4 中古車であったが、大人4人分の空間と荷物スペースはきっちりと確保されており、この高い実用性と走りの融合がヨーロッパで人気を集めた。このアスティナは次世代でランティスへと発展する。
ツイン 中古車。通称「新方向ファミリア」。エンジンは1500cc・1600cc(フルタイム4WDのみ)1800cc(後に追加された)・いすゞ製の1700ccターボディーゼルの3本立てとなり、1500ccにはリーンバーンエンジン車も設定された。マイナーチェンジ後はセダンに1300ccを追加し、
トゥアレグ 中古車での販売数拡大を狙った。後述の「ネオ」との兼ね合いもあり、1996年11月まで先代モデルの1300cc[4]が継続生産されていた。ちなみに、バンとワゴンはこの代からADバンのOEMとなる。
メガーヌ 中古車にマツダ・BHプラットフォームを採用。ホイールベースが伸ばされ、セダンはマツダの時流であったイタリアンなデザイン、3ドアハッチバックには「ネオ(NEO)」というサブネームが付けられ、今日でいうマツダ・アテンザスポーツや2代目トヨタ・
ボクスター 中古車、あるいは2代目フォード・フォーカスのようなクーペルック(カムバックスタイル)の奇抜なデザインだった[5]。セダンは、初代ルノー・ラグナのデザインと共通性がある。ラグナをデザインしたパトリック・ル・ケモンは、
ブレビス 中古車のデザイナーであり、その後ルノーに移籍しラグナをデザインした。発売当初は「クラストップの低価格」をうたい文句としていたが、実態は最廉価モデルの価格であり、中級以上のグレードではライバル車と
パオ 中古車での優位性はほとんどなかった。当時は各社がコスト削減に取り組んでいた時代で、このモデルも先代より大幅にコストダウンが図られていた。
ファミリアはハッチバックが
カムリ 中古車の主力車種であるにも関わらず、ネオの月販は100台前後を彷徨うという非常事態に陥り、1996年11月のマイナーチェンジで従来のハッチバックのイメージに近い、オーソドックスな3ドアに刷新された(これに伴い、7代目3ドアは
ソニカ 中古車。海外向けの3ドアはネオ(名前は異なる)が継続生産された)。しかし、国内ではすでに3ドアハッチバック市場は下火で、ステーションワゴン・ミニバンが販売の中心になっていた。フェイスリフトの際、直線基調の
テラノ 中古車に変更し、ヘッドランプはマルチリフレクター化され、1300cc・SOHC16バルブEGIガソリンエンジンが追加された。
1995年12月には生産累計1000万台を達成したものの、派生車種であるランティスの販売台数も伸びず、拡大路線が裏目に出たマツダは、創業以来の苦境に見まわれた。
カマロ 中古車やマカオでは、ヴォクスホール(Vauxhall)・MIDIの名前で販売されていた(ヴォクスホールの商用車ブランドであるベドフォード(Bedford)で販売されたモデルもある。)。
2代目ファーゴバン1995年8月 -
センチュリー 中古車。この代より、日産・キャラバンのOEMとなり、トラックは廃止(アトラス10系のOEMであるエルフ100が事実上の後継)。2ベッド救急車もキャラバン同様にファーゴ3000スーパーアンビュランスとして設定された。
静岡県 中古車のグレードはキャラバンのDX相当が「LD」、GTクルーズ相当「LS」である。LSグレードのフロントグリルは「ホーミー」のものを流用していた。
1997年7月 - ファーゴフィリーの発売により、
茨城県 中古車。バンのディーゼルエンジン車は3.2Lに拡大される。
1999年6月 - マイナーチェンジ。ガソリンエンジンが変更されDOHCエンジンに。
2001年5月 -
広島県 中古車がフルモデルチェンジされたのに従い、車名をコモに変更してフルモデルチェンジ
ポンティアック・ファイヤーバード(Pontiac Firebird)は、ゼネラルモーターズ社が製造するスポーツカーで、ポニー・カー(1964年型フォード・マスタングに代表される手ごろな価格で
京都府 中古車かつスポーツ走行が可能なスタイリッシュな車)にカテゴライズされており、アメリカ車を代表する2シーターのコルベット対して、双璧を成すファイヤーバードは4シーターである。また、シボレー・カマロは
岐阜県 中古車である(ポンティアック・トランザム参照)。
フォード・ファイブハンドレッド(Ford Five Hundred)はフォード・モーターが製造するフルサイズセダンである。2005年に登場。駆動方式はFFとAWD。2004年まで生産されていた
福島県 中古車の後継車種に位置する。
ボルボが開発を手がけたD3プラットフォームを採用しており、全長は5097mmでトーラスよりも少し長め、フォード・クラウンビクトリアより少し短めというサイズである。全高は1562mmでこれは
栃木県 中古車よりも高い。エンジンは3.0リッターV型6気筒DOHCのみ。トランスミッションはFFモデルは6速AT、AWDモデルはCVTのみとなっている。これは同じプラットフォームを採用しているフォード・フリースタイルと同じである。