憧れの臨床心理士 大学院

ドルの役割は経済問題に限らない。

前で述べたとおり、金融力と軍事力は密接な関係にあるため、ドルが米国の覇権維持のために一役買っていることも認めざるをえない。 逆に、米国は「強いドル」が国益であると主張することによって、そのドルを通じたヘゲモニーを崩すつもりはないことを世界に向けて発信しているのである。
経済学のテキストでは、ある通貨が「基軸」になっているということは、貿易や資本取引の決済がその通貨で行われること、為替レートがその通貨を中心に決められること、各国が外貨準備としてその通貨を保有すること、といったことを指すと書いてあるが、それはあくまで金融・経済空間における描写であり、コインの表側だけの話である。 現在の米国が、その基軸通貨性を外交手段に利用することによって、覇権を維持しようとしていることは間違いない。
それが、1997年のアジア危機の際に日本が提唱したAMF構想を潰した理由のひとつになったことは想像に難くない。 そして現在、台頭する中国に対しても早めに人民元を現在の国際金融ルールのなかに押し込んで、ドルの優位性が保たれた枠組みのなかに位置づけようとしているのだろう。
その際のドル安は、決して「強いドル」と矛盾しないのである。 現在、ドルの地位を脅かしつつあるのはユ−ロである。
1999年に誕生したユ−口は、すでに述べたとおり、資本市場での急速な拡大を見せている。 ユーロ圏の拡大により貿易決済も増えている。
また米国の一極支配を嫌うさまざまな国が、ドル決済からユーロ決済に変更し始めている。 中国やロシアなどの外貨準備の通貨構成にも変化が見え始め、中東はドル・ペッグ制を廃止する可能性も高まってきた。

ただし、ポンドからドルに基軸通貨が代わったからといって、次の動きがドルからユ−ロヘという変遷になるとは限らない。 基軸通貨という概念が希薄化していくという可能性も考えられるだろう。
むしろ、今後の国際金融は米国など先進国の相対的な地位低下と新興国の台頭(政治力、経済力、軍事力、文化など)を反映して、通貨利用の多様化という現象が起きる可能性も小さくない。 基軸通貨とその他通貨の非対称性・不公平性が拡大するなかにあって、いつまでも基軸通貨が存在しなければならないという理由はないのである。
基軸通貨というのは、まず経済的な利便性の問題であった。 当時、ポンド、あるいはドルですべて取引が完結できるというのは面倒がなく歓迎すべきシステムだったのだろう。
だが決済・送金制度や会計制度がシステマティックに充実しつつあるなかで、将来的にどの通貨で決済しようがそれほど問題ではなくなるだろう。 新興国が資本不足でドルを求めるという時代でもない。
彼らは逆に、ドルをもてあましているのが現状だ。 日本は常に基軸通貨という存在を前提にして、日本円をその従属通貨として捉えてきた。
日本円を国際化しようとする動きは、大蔵省に封じ込められてきたのである。 したがって、金融を外交戦略に使うという発想は乏しく、あるとしても現在価値計算を無視した条件でのODAや援助など、損切りのような金融戦術にすぎなかった。
仮に今後、基軸通貨性が揺らいで45種類の通貨が入り乱れる展開になったとき、そこにドルとユ−ロ、ポンド、スイス・フランといった欧米通貨がリスト入りするのは間違いないだろう。 アジア通貨としては当然日本円が入るはずだが、これが人民元に代替される可能性がないとはいえない。
中国はすでに人民元を外交カードとして使い始めている。 アジア・太平洋地域における日本円は、日本にとって死守すべき発言権なのであるが、現在のような通貨無策が続けば、アジア通貨代表は通貨力で勝る日本円ではなく、外交力に一日の長ある中国の人民元に「内定」する可能性は小さくないだろう。
金融における技術革新は、通信や電子機器などの先端産業に劣らず、きわめて高度化しかつ複雑化している。 だが工業の技術発展と違って、金融の技術はその社会的貢献度が明確に認識しづらく、また性々にして市場変動を増幅したり、金儲けの部分が顕現化したりするため、逆に非難を浴びることも多くなっている。
とくに最近では金融工学と呼ばれる分野での進展のスピードも速く、倫理感を伴わない技術偏重の傾向も強まっていることは否めない。 2007年のサブプライム問題も、その延長線上に発生した現象である。

1980年代以降、新自由主義とともに併行して米国で進展したのは金融の「工学化」であった。 ただしそれはある日突然に出現したものではない。
前で見たとおり、4世紀に賭博をめぐるパスカルとド・メレの議論から生まれた確率論や、四世紀にロバート・ブラウンによって発見されたブラウン運動など数学や物理における理論的進展を経て、1900年のR がその画期的な博士論文において金融と数理の結合への土壌を準備し、金融工学の土台が設定されたのである。 ただし、それが金融市場で実用化されるまでには、難解だということだけで一躍有名になったブラックショールズのオプション・モデルが公表される1973年まで、ほぼ四半世紀かかった。
その後の発展は、もはや言及する必要もないだろう。 デリバティブと呼ばれるこの金融革新は、資金調達や資金運用の多様性・効率性を高めただけではなく、リスク管理分野にも適用され、市場の流動性を支えるなど、健全な経済発展のためのファイナンスに必要不可欠な存在となっている。
だがそこには現代の科学技術と同様に落とし穴もあった。 金融市場に、価格理論としては未熟な技術を万能のシールと見倣す傾向が生まれた。
リスクを十分に理解しない人々にとっては、デリバティブは鋭利すぎる刃物であった。 リスクに無頓着な経営者は、金融工学のデメリットから眼を背けた。

リスクに過剰反応するメディアには、金融技術は悪魔以外の何物でもなかった。 こうして金融技術は、一握りの専門家にしか理解できない「よくわからぬ存在」だと誤認されるようになっていく。
金融行政の一部には日本の「技術の遅れ」を指摘する声も出始めたが、これもまた大きな認識違いであった。 日本の銀行や証券会社によるデリバティブ技術の水準は高い。
真の問題は、欧米に追いつくことのみを目標としてきたことである。 金融技術をどのように利用すべきか、つまり、安定的な経済成長といったマクロな視座で技術をどう使うかという目を養わぬまま、欧米金融と同様に、自らの収益拡大のためにデリバティブを用いたことこそが問われなければならないのである。
2007年のサブプライム問題で日本の金融があまり傷つかなかったことは、その文脈でいえばまだ日本の金融に「救い」があることを示している。 メディアでは日本の金融が遅れている証拠であるという論調が強い。
たしかに積極的な経営展開ができずにもたついている部分はあるが、ポジティブな面も評価しておくべきであろう。 理性にも品性にも乏しい商品開発を手掛け、自己の利益拡大に走り、逆風が吹き始めると顧客よりもまず自分の利益を優先してヘッジを始める、といった欧米金融モデルは、大きな転機を迎えている戦後の日本の銀行や証券が国際金融市場で目指してきたものが、欧米流の金融モデルであったことは否めない。

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